これについてちょっと考えてみた。
歌を聴いていると、歌詞の途中で1行だけ英語、というのが非常に多い。本当にものすごく多い。
何故こんなに英語を使いたがるのか、昔は意味が分からなかった。小中学生くらいのときは、わけもなくカッコいいと思っていたのだが、英語詞の意味が理解できるようになると、わざわざ英語にした理由を知りたくなった。
中国語とかドイツ語とか韓国語じゃなくて英語が使われる理由は単純にもっとも身近な外国語だからであろう。
日本語は基本的に一文字一音節の言語である。ローマ字表記すると分かりやすいのだが、「た」は「TA」、「す」は「SU」と一子音一母音の発音が基本となっている。
ところが英語はそんな規則性はほとんどなく、複数子音+一母音の発音がまったく珍しくない。
結果として、日本語は英語よりも母音の使用頻度が高くなる。
母音は音声として非常に鮮明である。鮮明ということははっきりと発音することが出来るということであるが、当然それはリズムに重さを持たせてしまうことになる。
そちらの道の専門家ではないので実際のところは分からないが、英語よりも日本語のほうが「発音が重い言語」に思えるのである。実際に喋っているのを聞いて思うのだが、英語のほうが軽快である。
音楽制作者の立場として、あるリズムが重くなりすぎるのを避ける手段として、英語の使用が実は効果的なのかもしれない、とふと思ってしまったのである。
日本語の発音は、ある種の音楽に致命的にミスマッチとなる。これは本来日本語が持っている特性であると考えられるのだが、日本人向けの曲なのに全英語詞だったりする理由はこれで説明できないだろうか(もちろんそれがすべてではないだろうけど)。
分かりやすい例を挙げると、「BLACK LAGOON」のOPで使用されたMELLの「Red fraction」とか。日本語詞で歌われるのがちょっと想像できない(もちろん思い込みの問題もあるかもしれないのだが)。
曲と詞を合わせて一つの作品とするならば、これらがどのような形であればマッチするのか、そう考えたときに英語を使うというのも一つの手段たりえるのかもしれない。